17日間プラス1日(あれっ?ほんとにプラス1日でよかったのかな?機内泊が香港泊に変わっただけなので、やっぱり17日間でいいのかな?分からなくなりました)の旅の間、どこへ行っても日本人観光客は出没していました。でも、久しぶりの日本は、日本人ばかり、日本語ばかりが聞こえてくるのは当然だけど、無事帰って来た安堵感と脱力感のようなものが体中を巡っていました。
もう、どこの店に入っても、チップを渡す心配をしなくていいんです。チップは、慣れてきたとはいえ、やっぱりめんどくさいです。羽田空港からタクシーに乗った時、これから先の数時間で、何が起きようと、間違いなく、安全に、確実に、我が家に戻れるはずだ、という妙な確信がもてました。
岡山へ戻ってから、しばらくの間は、荷物や土産物の整理をしたり、残ったドル紙幣を円に換金したり、写真ができてからは、家族や友人に見せたり……岡山での日常生活という「現実」の中で、思い出に浸る時間が結構あったように思います。
写真ですが、ローマ、ナポリは快晴に近かったせいか、空の青さも周りの景色も驚くほど色鮮やかに写っていました。私の父親は仕事でカメラマンをしていたのですが、私の安物カメラでこれ程きれいに撮れていたことに父は驚いていました。
外国旅行がブームになり始めた頃だったように思います。ただ、私の周りでヨーロッパに行ったことがある人は、当時あまりいなかったみたいです。父は、自分の娘をヨーロッパに行かせたと、親戚や知人に自慢していました。
そう言えば、ドルを円に換える時、タイミングが悪くて、少し損をしたように記憶しています。あの頃は、確か1ドル260円から280円くらいだったと思います。
ところで、初めてドル紙幣を手にした時、どんな感想をもたれましたか?私は、「なに、これ?ちっせー!」でした。まるで人生ゲームか何かに使うおもちゃのようだと思い、絶対日本の1万円札(もちろん聖徳太子の旧札です)の方が遙かに美しく、貫禄があると決めつけていました。アメリカも大したことないなあ、なんて大それた感想を抱いたものです。ドル紙幣には正直言って失望しました。
そうそう、パリの医者に払った医療費を保険で返してもらう手続きも必要でした。実を言うと、お金が戻ってくるのか不安でした。黒人のドクターは、診断書とか領収証のたぐいを私が要求すると、持っていたメモ用紙のような小さい紙切れに、フランス語かドイツ語かわからない短い言葉をササッと書いただけだったんです。こんなもので請求できるのだろうかと半信半疑でした。結局、医療費の他に、少額ではあったけれど、慰謝料も支給されました。あのペラペラのメモ用紙が使えたのでした。
旅行社の人は、このツアーを企画してから、医療保険を適用するのは、私が初めてだと言いました。
香港で払ってないと指摘された空港税のことを聞かれたらどうしようと懸念していましたが、何も聞かれませんでした。ああよかった!
渡航前から嫌な思いをする出来事が続き、痛かったり、怖かったり、気分の悪いことや、期待はずれもあったし、いっぱい恥もかいたし、人に迷惑もかけたし、よくもまあこれだけ我慢のできたこと、と我ながら感心してしまいます。
「邦人女子大生、古代遺跡で行方不明に」とか「ミラノでマフィアにさらわれた?」等の記事にならなくて何よりです。
それでも、トータルでは、「楽しかった!」 という感想になるんですね。あれだけ多くのトラブルに巻き込まれたにもかかわらず、です。
私にとっては、夢のような17日(プラス1日?)でした。インターネットも携帯電話も勿論存在しない時代ですし、旅行中、日本からの情報はほとんどなかったですね。(その必要感もなかったし、情報が得られないことの不都合をこれっぽっちも感じませんでした。)
自分の周りで起きるすべての出来事が、時間的にも空間的にも完全に閉ざされた[非日常の]世界だった、あとから振り返るとそのように感じられました。一度だけ、現実に戻った出来事がありました。ある時、誰かが「インド航空機の事故」を報じる新聞記事を見つけて、ツアー仲間に見せていました。「へええ、事故があったんだ!」と、周りで小さなざわめきが起こりました。この時ばかりは、間違いなく私にとっての「現実」がそこにありました。この報道が当時の日本でどのように扱われたのか、確認もしていないのだけど、ツアー客の家族達は、さぞかし心配し、慌てたのではないだろうか?
今回このメールを書いている時、ヨーロッパの地名や観光地について何回かパソコンで検索することがありました。例えばロンドンの大英博物館です。入館料が本当にただだったのか、もしかしたら、私達がうっかり不正をしていたのではないか?というような疑惑がわいてきて……でも、現在も、入館料は無料ですとあったので安心しました。それから、あの悪夢のようなボンベイは「ボンベイ」と入力すると、「地名変更→ムンバイ」が表示されました。ドイツは当時西と東に分かれていたし、パンナム機は何年も前から空を飛んでいません。私達がフェリーで渡ったドーバー海峡(英仏海峡)には、今ではユーロトンネルという海峡トンネルが開通しているし、今ヨーロッパを旅行する人は、いろいろ便利になっていると思います。日本からイタリアまで、現在は13時間かかるそうです。
お金は、ユーロ通貨になるのかなあ。よく知らないけど。国境を越えて通過が変わるたびに換金していたけど、それも必要ないのかも。
でも、思い出すと、どれもこれも今にも破れそうなぼろぼろのイタリアの紙幣や、ミニハンカチぐらいの大きさはあるスイスの紙幣がとても懐かしいです。観光客が手にすることは、もうないのだろうか?そして、今でもドル紙幣は、こども銀行のお金みたいに小さいのだろうか?
30年間で、日本も世界も変わってきたんだ、という思いが、少しのせつなさと共に実感できました。
旅行の写真をいっぱい撮っていたので、それぞれに短いコメントを入れて、きちんとアルバムに整理したのは確かなんですが、高校時代の写真も含めて、何回かの引っ越しの間に行方不明になってしまいました。絶対どこかにあるはずなんですが…
旅行のしおりや観光地のパンフレット等の資料が見つけ出せていたら、もっとずっと詳しくお伝えできたのですが、辿々しい記憶をつなぎ合わせてきたので随分読み辛かったのではないでしょうか。でもまあ、こんなもんかな。それでも、埋もれていた記憶がいろいろとよみがえってきた、そのことは確かですね。いろいろ思い出しながら書き綴っていくのはとても楽しかったです。
どうもありがとう。
一応、「完」です。また思い出したことがあれば、お知らせします。
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