2010年5月11日火曜日

ヨーロッパから帰途、しかし、おまけの一泊

 17日間の日程が終わりに近づき、ロンドンのヒースロー空港から再びインド航空での旅が始まりました。あの忌まわしい旅が…

 ところが、これがまた、全然予想だにしてなかった展開になるんです。
その前に、私は、嬉しい初体験がありました。私は、飛行機に乗る時、タラップから手を振るというのが小さい時からの夢だったんです。鶴のマークの付いた日航のショルダーバッグを肩に掛けてにこやかにほほえむ姿に憧れてjいました。笑えますが、結構本気でしたね。大学1年の時生まれて初めて飛行機に乗って北海道へ行ったのだけど、その時はタラップなどどこにも存在せず、夢はかないませんでした。でもロンドンの空港で実現できました。誰も見送ってくれる人などいないのに……

 帰りのインド機では、不思議なことに体調は普通でした。隣の席のお金持ち風のインド人中年紳士に、私は、折り紙のツルをあげました。インド人紳士は、「娘にプレゼントする」と言いました。この旅行でインドの人と友好的にかかわることのできた唯一の出来事でした。

 そして、どのあたりでこの連絡を聞いたのか覚えてないのですが、私達の乗っているインド機は、途中で他のインド機に乗り換えることになっていたのだけど、その乗り換え機に乗り継ぐのが間に合わなくなるという事態が発生したのです。そして、ボンベイで別の航空会社の飛行機に乗り換えて香港まで行き、香港で1泊して羽田へ帰るという飛行プランに急遽変更になったわけです。ということは、もうインド航空に乗らなくてもいいんですね。みんな歓声を上げて喜んでいたように思います。しかし、添乗員のS氏は、意地が悪いので、「それでいいんですか?嫌ならボンベイに1泊してインド航空で帰ることもできるんですよ」と言うのです。ボンベイで1泊なんて、とんでもない!!!

 香港経由のプランにみんなが賛同したのは言うまでもありません。
乗り換えの飛行機は、スイス航空でした。スイス航空のDCー10機は、中がきれいで、音も静かだし、今回乗った飛行機の中で一番乗り心地がよかったです。スチュワーデスさんもインド航空と違って、にこやかでした。高校の講演会で某住職さんが言われた言葉が思い出されます。はっとするくらいの美人がインドにはいるけど、世界一景色が美しいと言われるスイスには美人がいない…
 
 香港は、当然のことながら観光の時間はありませんでした。食事をするのに少し街を歩いただけでした。 夜、ホテルの近くの店でペンダントを買いました。ところが、ホテルの同室の M 嬢がシャワーを浴びている間、私がそのペンダントをいじくっていると、金属の枠にはめ込んであった琥珀色の石がパカッとはずれたんです。わっ、どうしよう、結構高かったのに…とショックでした。とりあえず、はずれた石を元のように枠にはめ込み、気を取り直して、買った店に走って行きました。夜一人で歩く(走る)にはちょっと勇気がいりました。石がはずれたことは言わずに、店の人に話をして、別のペンダントに取り替えてもらいました。ちょっとドキドキの買い物でした。そう言えば、この時の店員さん、政治家の麻生太郎を若くした顔に似ていました。
 
 香港のホテルのバスタブは、ヨーロッパのどこのホテルの物より大きかったので、「わっ、広ーい!」と叫んでしまいました。ところが、私は、その広いバスタブの中で、滑って,お尻をおもいきり打ってしまいました。ドスン!という大音響とともに。同室の M 嬢は、何事が起きたのか?と驚いていました。あまりにもみっともなくて恥ずかしいので、M 嬢に真実を言うことができませんでした。
 
 翌朝、香港の空港から、今度はパンナムのジャンボジェット機に乗りました。わあい、パンナムだあ!と単純に喜んでしまいました。何と言っても、当時は、世界のパンナムでしたから。実は、出発直前に、空港税を私達が払ってないと指摘されたのです。でも今更戻れないし、そのまま放っておいたのです。どういう手続きになっていたのか分かりませんが、あとはS氏が処理してくれたんでしょうね。もしかしたら、私達は、不法出国者になっていたのだろうか?

 パンナムのスチュワーデスさん(本当は、今はスチュワーデスと言ってはいけないのですが、敢えて私はそう呼んでいます。実際、当時は、紛れもなく、スチュワーデスさんでした。どうして今呼び名が変わったのか、変な話ですね。)は、明るくとっても気さくでした。機内食サービスの時、「カフィ、オア、チー?」と尋ねたので「チー、プリーズ」と答えると、にっこり笑って、その後ちゃんと紅茶を運んで来てくれました。「ティー」ではなく、「チー」と発音していたのは、うわさ通り本当の話でした。うわさ、というのは、高校のキャンプの時、某放送局の特派員をしている先輩からそういう話を聞いたことがあったからです。
 
 昔、テレビのコマーシャルで、伴淳三郎が「チー、プリーズ」と言って笑われていましたが、実際は、あれで正解だったんですよ。

 

2010年5月10日月曜日

大英博物館



 とにかく、中が広くて立派な博物館です。日本の歴史にかかわる展示物もありました。面白かったのは、井原西鶴の「好色一代男」の原本(たぶん)がケースに陳列されていたことです。こんな所に本物があるのかと驚きました。しかも、開いているページが、主人公が女風呂をのぞいているシーンだったので、思わずM 嬢と顔を見合わせて笑ってしまいました。高校の古文の授業で、先生からその部分の話を面白可笑しく聞いていたのを思い出したからです。
 
 じっくり見て回れば、ほかに面白い発見があったかもしれませんが、あまりにも巨大な博物館でした。そして、なんと、入館料がいらないんです。つまり、ただなんです!!さすが、大英帝国ですね。

 1977年は、イギリス女王陛下の即位25周年にあたり、ロンドンの街は、お祝いムードに溢れていました。あちこちの店には、その記念グッズが並べられていました。私なんかは、シルバージュビリーが何のことだか知らなかったし、ロンドンに来て初めて、ああ、そういうことだったのか、と納得して、観光をしていました。でも、正直言って、即位何年とか、結婚記念日がどうとか言われても、当時の私には、あまり関心のないことだったので、どういう気持ちでこのコースターを買ったのか、よく思い出せません。
何となく、記念になるという感じで選んだのでしょうね。

写真上は、ロンドンで買ったそのコースター。
写真下は、コースターの箱のラベル。

2010年5月9日日曜日

食べ物の話

 ヨーロッパ旅行中の食べ物について、まとめてお話ししたいと思います。
 当然というか、イタリアは、ピザ、スパゲティのどちらかが毎度の食事でした。でも、日本で食べている味に慣れているせいか、本場の味は、ちょっと私には重かったかな。日本の倍ぐらいは量があるので、始めは美味しいんだけど、だんだん飽きてくるんですね。それにまた、種類の多いこと!あんまり多すぎて、どれを選んだらいいのか、何が美味しいのか訳がわからなくなってしまいました。
 イタリアの人にとっては、ピザもスパゲティも前菜みたいなもので、それを食べた後で主菜を食べると聞き、何ということだと呆れてしまいました。たまに食べるのはいいけど、毎日ピザとスパゲティでは耐えられないなあ…
 そして、ホテルの朝食のパンは、思わず顔をしかめるくらいまずかったです。イタリアのパンはとっても不評でした。

 食事や食べ物については、実は他に特筆すべきことがあまりないんですね。コレがもの凄く美味しかったというようなことが思い出せません。
 
 どうしてもイタリアの話が多くなってしまうのですが、お店でジュースを注文すると、例えば「オレンジジュース」とか「グレープジュース」を頼むと、テーブルに運ばれてくるのは、ファンタオレンジやファンタグレープの、それもビンごとなんです。
 
 ある時、何かのジュースを(たぶん、ミックスジュースのつもりだったと思います)私が注文したら、果物のカゴ盛りがやってきました。こぶりのバスケットでしたけど、テーブルに置かれた瞬間は、うわあ!!ですね。「何を頼んだらそんなものが来るの??」と周りからは言われるし、カゴ盛りがメニューにあるということ?なんですね。

 まあ、フランスでは、お腹具合が悪かったので、食事の思い出は何もありません。ただ、私の場合、黒人ドクターからもらった薬のビンをパリでは持ち歩かなければなりませんでした。500ミリリットルのボトル位の大きさでしたから、その茶色のビンを食事の時テーブルに置くと、迫力ありましたね。今なら、怪しい薬物の不法所持とかになりそうです。結局、黒人ドクターからもらった怪しい薬物のビンは、2本でしたが、パリを去る頃には体調もだいぶ回復していたので、パリのホテルにそのまま置いてきました。あれが何の薬だったのかは謎のままです。(今なら、薬の名前をメモして、インターネットですぐ調べられますが。)
 
 ドイツでは、メニューに書いてある料理が何なのか全く分かりませんでした。見本も写真もないし、分かるのは、「ミルヒ」(ミルクのこと)ぐらいでしたから、「このままドイツに何日もいたら飢え死にするねえ」と誰かが言ってました。全く同感です。各国のメニューの料理名だけは、知っておくべきだと反省しました。

 そう言えば、ミラノでは、中華料理の店を見つけたので、嬉しくなって入りました。久しぶりに温かいご飯ものを食べることができました。ジャスミンティーが美味しかったです。

 イギリス料理って、まずいという評判ですよね。だって、イギリス料理のレストラン、見たことも聞いたこともないです。そう言えば、前から思っていたけど、アメリカ料理の店もないなあ。アメリカ料理って何?ホットドッグ?
 この前、ミシュランの三つ星レストランが話題になっていたけど、ロンドンに一軒あると出ていました。どんなイギリス料理なのか興味あります。

  ただ、ロンドンのホテルの朝食は、この旅行で一番美味しかったです。パンもグレープフルーツジュースも。ロンドンが旅行最後の滞在地だったので、恐らくロンドンのホテルが一番上級だったのでしょう。

2009年10月17日土曜日

ヨーロッパの乗り物

 基本的にはバスでの移動が殆どでした。ところが、イタリアでのバスの旅が一番長かったはずなのに、イタリアのバスがどんなものだったのかが全然思い出せないのです。そうそう、イタリアでは、ピサの斜塔にも立ち寄りました。中に入って外周?というべき所をぐるっと一周しましたが、下向きに傾いている側は、さすがにスリルがありました。毎年何人かの観光客に悲劇が訪れるそうです。

 ドイツでは、ベンツのバスに乗りました。これが、でっかいバスで、シートに座ると、私は、足が床に届かず、足をぷらぷらさせていました。アウトバーンという制限速度なしの道を、ベンツのバスはぶっ飛ばして走っていました。このバスで、スイス、リヒテンシュタインなんかの国境を越えたと思います。

 パリへは、鉄道の旅でした。どこから乗ったのかがまたまた不明ですが、列車がパリ駅に到着したのは確かです。ヨーロッパの列車は、ご存じかとは思いますが、3人掛けのシートが向かい合わせで、6人ずつの個室になっていて、通路は片側のみです。パリ行きの列車に同乗していたカップルは、私達がいてもおかまいなく、ずっといちゃいちゃしていました。

 パリからロンドンへは、ドーバー海峡(英仏海峡)をフェリーで渡りました。この時はデッキに出ると、寒くて震えていました。海は、もやがかかっていて、周りの景色があまり見えませんでした。

 対岸のイギリスに着いてから、ロンドンのビクトリア駅まで再び長い列車の旅が始まりました。何時間くらい乗っていたのかなあ。車窓からは、ずっと田園風景が続いて見えていたと思います。この間、同室の私達はトランプで「大貧民」をぎゃあぎゃあ言いながら遊んで過ごしていました。こういう時は、個室でよかったですね。

 パリもロンドンも終日自由行動でした。地下鉄に乗ったり、ロンドンではオースチンのタクシーにも乗ってみました。あ、2階建てのバスにも乗りました。ロンドン市内のどこで乗ってもバスの前面に表示されている数字さえ間違えなければ、ホテルにたどり着けるという便利なシステムのおかげで、ロンドンでは迷うことがありませんでした。私達が一番よく乗った2階建てバスは、9番バスでした。

2009年9月10日木曜日

バッキンガム宮殿

さすがに世界的観光地だけあって、もの凄い数の観光客が訪れていました。

 小雪が舞う寒い中、門の外から近衛兵の交代儀式を見ました。
 衛兵さんの、お馴染みの赤と黒のコントラストが美しい制服姿を私達は期待していたのですが、あれは夏服なんですね。この季節は、グレーのコート姿でした。初めて知ったこの事実!!周りの日本人観光客達の、がっかりした様子がとてもよく伝わってきました。だって、ガイドブックのどこにもそんな記述はなかったし、冬服があるなんて、想像もしていませんでした。
 
まあ、普通あまりお目にかかれない光景を見ることができたという意味では、貴重な体験だったかな。
 
ちなみに、パソコンで検索したら、冬服の近衛兵の画面もちゃんと出ていました。
            

2009年9月7日月曜日

ルーブル美術館

 あまりにも有名な「ミロのヴィーナス」は、美術館の入り口近くの通路に普通に置かれていました。普通に、というのは、変な言い方ですが、特別な展示ではないという意味です。うまく表現できませんが。いろんな像が並んでいる中に、「ミロのヴィーナス」があるという感じですね。ヴィーナスの後ろ姿を初めて見ることができました。

 それに引き替え、対照的だったのは、ダ・ヴィンチの「モナリザ」 です。少し前に「モナリザ」は、盗難事件に遭い、大騒ぎだったんですね。無事戻ってきて、見られたのはよかったです。でも、ガラスケースに厳重に納められていました。ガラスの反射でやや見えにくく、思ったより小さかったです。

2009年9月5日土曜日

明るいイタリア

 17日間(飛行機内での機内泊があるので、正確には15日位かな)のヨーロッパで、ローマ、ナポリ、ポンペイは快晴でした。気温も3月にしてはやや暑いくらいでした。
 
 他の街、フィレンツェ、ミラノ(イタリア)、ハイデルベルク(西ドイツ)、ルツェルン(スイス)、パリ、ロンドンは、少し陰った感じでした。天候のイメージそのままで、イタリアはどこまでも人々が明るかったです。特に男性は、言葉が通じないことが分かっていても、よく声を掛けてきます。

 ミラノでは、男性二人が私達の両側から挟むようにして近づき、「案内しましょう」と声を掛けるのですが、彼らも道を知らなくて、他の人に尋ねているんです。シチリア島から来た警察官だと言っていました。彼らも旅行者だったんです。どうして道を知らないのに、案内ができるというの??!!
 たまたま同じツアーの男子学生とばったり出会ったので、事情を話すと、「マフィアかもしれないから、逃げた方がいいよ」と言われました。ええっ、まさかねえ!!
 
 それにしてもイタリアの男性は、女性とどういうつきあい方をしているのだろうか?